Profile
よくこのページみつけてくれはりました

倉 田 正 昭
昭和2?年(195?年)12月12日生まれ  血液型  B型
京都東山高等学校卒業(クラブ:吹奏楽部
1969 Greenhorn Jazz Orchestra 入団(アマチュア・ビッグ・バンド)
京都外国語大学卒業(クラブ:Free Guide Club
1981 FMテープリライトオフィス設立
1982 京都ワイズメンズクラブ入会
1984 FM設立
1990 CDC(キャノンボール・ダンス・サークル)設立
1993 7月10日 社交ダンス教師資格取得(技術級:アソシェート)
1994 Sharp のモバイル「ザウルス」から パソコン通信 Nifty に加入 
1996 7月10日 社交ダンス教師技術級:メンバー取得
1999 Biglobeに加入 後にISDN回線に変更
2000 2月1日 倉田ダンス教室 開設
9月9日 「京都ダンスネット」ホームページ開設
10月5日 「京都ダンスネット」メールマガジン発行開始
2001 8月ホームページ・サーバーをiSLEに移転
2002 3月22日 DDIに加入し回線をADSLに変更
4月 デスクトップがトラブル発生の為、急遽ノートパソコンを購入
    SHARP Mevius PC−FS1−C3H
5月 デジタル・ビデオカメラ(Sharp VL-NZ10)を購入
2003 1月27日 カメラ付き携帯電話に機種変更 CASIO A5406CA
2月27日 「ようこそ Salsa の世界へ」にハーボットを設置
6月4日 デジタル・カメラ(Casio Exilim EX-S3)購入
7月20日 eo64k プロバイダー契約
7月29日 自作組立パソコンに挑戦
2004 9月16日 シャープ・ノート・パソコン(PC−MM50F)購入
2005 11月20日 倉田ダンス教室5周年パーティーを開催
             (於:京都東急ホテル)
12月 DVD−RW 自作機に設置

コンピューター関連
加入プロバイダー Nifty/Biglobe/DDI/光ファイバーUSEN
サーバー TCP
回線 ADSL(常時接続)/光ファイバー
使用パソコン *NEC VALUESTAR NX(W−98)
*SHARP Mevius PC−FS1−C3H
  (W−XP)(2002.4)
*自作機 (2003.7.29)
   Pentiam4  2.4C/512M/80G+80G
   CD−RW DVD−RW搭載
*SHARP PC−MM50F
  (W−XP profesional)(2004.9.16)
周辺機器 HP製 フィルム・スキャナ
YAMAHA CD−RW
BAFALLO 外付HDほか
スキャナ NEC製 MultiReader 650U
その他 1眼レフ・アナログ・カメラ(キャノンEOS)
デジタル・ムービー(シャープVL−NZ10)(2002.5)
カメラ付き携帯電話(2003.1)
デジタル・カメラ(Casio Exilim EX-S3)(2003.6.4)

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【私の音楽歴】
私が生まれた時にはすでに、おもちゃのようなアコーディオン、ギター、ハーモニカ等の楽器が家の中に存在していた。
それらの楽器を適当に遊びながら演奏していた。
家には、蓄音機があったがゼンマイを切って壊してしまった。
今あったら値打ちものだと思う。
電気工作の好きな父が制作した大きなスピーカーのオーディオ機器やレコードプレーヤーが付いた大きなラジオもあった。
中学の時にエレキ(エレクトリック・ギター)ブームが到来し、ベンチャーズに魅了され友人と小さなバンドを組んだ。
ビートルズも流行っていたが、どちらかと言うと楽器演奏指向だった。
毎日のように、友人宅に入り浸りギターの練習をしていた。
エレキギターが買えないので、アコースティック・ギターにピックアップ(マイク)を付けて、それをラジオで拡声して、エレキの雰囲気を楽しんでいた。
ベンチャーズのコンサートへも行き、終了後二人乗り自転車で車を追いかけ、滞在ホテルで待ち伏せしてサインをもらったりしたこともあった。

やがてフォークブームがやって来て、洋・和フォークもその仲間達と唄ったりしていた。
中学も終わりに近づいた頃、邦画のある場面を観て、トランペットが吹きたくなり
すぐに、近くの楽器店でマウスピース(口にあてる部分)だけを買い、それで練習していた。
そうしていると、近所の人から使わないからといって、ほとんど新品のピッカピカに光ったトランペットをもらった。うれしかった。
それから、何回か楽器を替えたが、いつも誰かからゆずってもらったりして、楽器の方からこちらに近づいて来ていたように思う。
ニニ・ロッソにもあこがれ、コンサートも聴きに行き、楽屋出口で持ってきたレコードにサインをしてもらったりした。

やがて、楽譜が正確に読めるようになりたいという欲求にかられ、高校入学と同時に吹奏楽部に入部した。
高校は3年間みっちりと、練習した。夏休みも合宿があったり、早朝練習、昼休みの練習とか。
高校生活のほとんどが、クラブ一色となり、それまでつき合っていた中学時代のバンド仲間とは疎遠になった。
とにかく、音が出るまでが大変な楽器なので、練習に練習を重ねた。
日曜日も自主的に一人で学校へ練習に行ったこともあった。
南禅寺が近くなので、校庭から観光客を見下ろしながら練習していたものだ。

高校を卒業する頃に、あかしや合奏団といういろいろな楽器で構成された合奏団に、高校の大先輩から誘われて入団した。
合奏団の人員は、小学生から二十歳代と思われる大人までで構成されていて、楽器もハーモニカ、オルガン、バイオリン、木管楽器、金管楽器、ウッドベースなど、楽器なら何でも来いという風だった。
その時初めて、バイオリンと一緒に合奏する機会を持った。
クラシックの曲も今までの吹奏楽部とはひと味違ったサウンドで合奏する事が出来めずらしかった。
その当時のメンバーの中には、後に京都市交響楽団の団員になられた方もある。

編曲と指導は吹野頼吉先生といって、確か小学校の音楽の先生を指導される立場の方だったと思う。
海軍の軍楽隊で鍛えられたことや、いろいろな経験談を聞かせていただき、本当に良い先生だったと思う。
そのあかしや合奏団も定期的に京都会館第2ホールとかで演奏会をしていたが、運営上のことでか解散することになってしまった。
当時メルホン(ホルンに似た楽器)を吹いていた藤井さんの紹介で、今のGJOに誘われて、大学入学と同時くらいに入団し現在に至っている。

あかしや合奏団が解散して、しばらくしてから、学生時代の夏休みに中国地方を旅行をした時、お金を使い果たし、当時吹野先生が住んでおられた鳥取に泊めてもらい、帰りの交通費を借りて帰ったことがあった。
もちろん、帰ってからお借りしたお金は書留でお返しした。
その時は、大山に登ったりした後、先生宅で入浴後、アワビのお造りをビールと共にいただいたことが今でも忘れられない。
その後ずっと鳥取に住んでおられたが、たまたま用事で来られていた京都で亡くなられた。
連絡があり、京都での仮り通夜に出向き、その後寝台車で鳥取に運ばれたのを記憶している。
当時のことや、吹野先生のことをご存じの方はご連絡ください。

その後、キャバレーのようなところで、ダンス音楽、ショーのバック演奏など、レギュラーとして出演したり、
エキストラ・バンド(職内)であちら、こちらに呼ばれて演奏する機会を持った。
楽譜を初見で演奏する機会も多々あったので、いい勉強になったと同時に、
大学時代の貴重な小遣いかせぎとなった。

大学卒業後、ほかに仕事を持つようになっても、時々入るエキストラバンドの仕事は続けていた。
やがて、キャノンボールというコンボバンドで、ダンスのバック演奏をレギュラーでするようになった。
その時のバンドのメンバーが休憩時間に連れてきた奥さんとダンスを踊るのを見た。
それまで、バンドマンがダンスをするなどという発想はまったく考えられなかった。
それで、ダンスを習い始め、やがて楽しくなり、バンドで演奏しても、休憩時間には休まず汗をかきながら踊っていたりするようになった。
そのころから、体の中の何かメカニズムが変わってきたように思う。
今の音楽活動は、GJOのみであるが、奥田章三氏などのプロの指導者にめぐまれてはいるものの
腕の方はいっこうにあがらない。

【私のパソコン歴】
何か技術を身につけたいと思い、脱サラをして、和文タイプを習いに行った。
しかし、これからはワープロが流行るだろうと思い、和文タイプの仕事を
ワープロでしてみてはと考え営業活動をした。
より綺麗な文字が印字可能な高価な組版機を購入し、冊子や印刷物の版下も作成するようになった。
今思うと、和文タイプで習ったレイアウトなどの技術がこの時に役立ったと思う。

やがて、コンピューターが主流となってきて、パソコンのワープロに切り替え、データー入力の仕事や、
テープ起こしの仕事等、パソコンで出来る文字入力の仕事をとるようになった。
また、パソコン通信から、インターネットとめざましいパソコンの変化に対応し、自分のホームページを作るまでに至った。
とにかく、技術革新と共に、めまぐるしく機器類の移り変わるサーフィンに乗ってきたように思う。

ホームページを作ったことによって、新しい、今まで考えられなかった人とのつながりが出来るようになってきた。
もちろん、ダンス関係では、情報交換だけでなく、大いに役に立っているのは、ありがたいことです。

【私の旅行歴】
初めての旅行は北海道だった。梅原君という高校時代にクラブの同級生と、卒業したら一緒に北海道へ行こうと約束していたが
お金がなくて、直前までためらっていたが、結局行くことが出来た。
その旅行記は彼が書いているので、その文集を後日披露することにする。
すでに、テキストファイルでフロッピーに残してあります。
……つづく。

【私のダンス歴】
今まで、バンドをしていて、人の踊るダンス見ていたが、ある時
同じバンドのメンバーが踊っているのを見てうらやましくなった。
それで、あるところで団体レッスンが始まるというので
参加してみたのが、最初である。
それから、そこの団体レッスンで助手に選ばれ、講師が入院中も、代理で指導にあたったこともあった。
しかし、このままの踊りではいけないと悟り、教師資格試験を受ける為に個人レッスンを始めた。
その3年後に、アソシェートという資格を取得し、またその3年後にメンバーという次の段階の資格を
取得し現在に至る。

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こうして、辿ってきた道を振り返ってみると、頭の中が整理されてくるような気がします。
最後まで読んでいただきありがとうございます。